JCRの沿革
日本放射線科専門医会・医会は、昭和41年の放射線専門医制度開始を受け安河内 浩先生、平松慶博先生らが中心となって専門医間の親睦と情報交換、あわせて学会の専門医制度の推進を目的として昭和48年に設立された日本放射線科専門医会(以下専門医会)と、昭和58年に放射線診療の社会的認知と診療報酬の正当評価を活動主眼におき、日本医師会(以下日医)の関連団体として設立された日本放射線医会(以下医会)を母体とする。
前者は放射線専門医を構成会員とし、放射線学会と連動しながら講習会や学術的会合の開催、海外留学援助や国際交流を通じて、知識水準の保持と向上、専門医の地位向上を目指した活動を行ってきた。後者は原則として日本医師会員の放射線科医からなり、医療法や健康保険法、特に診療報酬改定をつかさどる厚生省(現;厚生労働省)に対する正式な交渉団体である日医の改訂作業に直接関係する社会保険関連委員会(診療報酬検討委員会、疑義解釈委員会、社会保険研究委員会)への委員派遣による放射線関連の診療点数改正への着手、ならびに他科医師への放射線診療に関する認知度の改善に関する活動をおこなってきた。しかし医療保険制度の危機的状況をうけて医療制度全体の大幅なみなおし機運が高まる中、専門医会は学会と共同し点数改定要望の外保連、内保連をつうじての働きかけなど医療行政へのかかわりを強化してきたが文部科学省を主務官庁とする学会よりの団体であることの限界を実感するにいたった。
一方医会はそれまでの開業医中心から、大学や公的病院の勤務医を多くとりこみ組織構成を刷新し活動の幅の増大をはかるものの圧力団体としての組織規模の貧弱さが問題となってきた。このような状況のもと、今後の医療のありかたが大きく変貌する時期に、ただでさえマンパワーが弱い放射線科医のなかにあって目的を同じくする2団体の存在は極めて非効率であるという共通認識がうまれ、平成8年頃より両会の合併の動きが始まった。
そして平成10年3月13日当時の遠藤専門医会会長と富永放射線科医会会長との間で意見交換がおこなわれ、これをもとに同年7月11日合併問題に関する第1回両会役員懇談会が開かれた。もとより会の趣旨も歴史も異なる団体であり様々な意見の食い違いがあったが、その後それぞれの役員会、合同役員会での検討を重ねられ、大きな目的達成のために小異をすて大同につく大儀のもと合併合意がなり、それぞれの総会での決議を経て平成14年4月日本放射線科専門医会・医会として装いもあらたに発足した。新組織は従来専門医会と医会がかかげた目標達成のみならず、広く国民的視野に基づく意識をもち米国のACRに匹敵する組織を目指し、叡智を結集し活発な活動をつづけている。また平成19年6月1日より法人化し、有限責任中間法人「日本放射線科専門医会・医会」となった。
(文責;村中)

