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女の40歳は惑いどき

獨協医科大学越谷病院放射線科 野崎美和子

先生が放射線科医を選択されたのには、何か特別な理由が
おありだったんでしょうか?

 私が医学部を卒業する時には将来に対する確固たる目標がなく、「全身を診られる医者になって患者さんと全人的な関わりを持ちたい」という希望だけがあって、医科大学または医学部が各県に一校設置され、医学生総数が急増していた時代なので、入局希望者数の多い、いわゆるメジャーな科では正直言って女子学生の入局があまり歓迎されない雰囲気があったんです。そんな時代に、全身を診ることができる診療科の中で、唯一、私を歓迎してくれたのが放射線科で、学生時代の運動クラブの顧問でいらした永井輝夫先生のお勧めの言葉と恩師新部英男先生の臨床講義とその著書への感動と、そのころの放射線科医局の体育会系の気風などに惹かれての入局でした。内科などの大きな医局と違って、放射線科の小人数の医局の中でならば自分も大切にしてもらえるかもしれない、という甘えた気持ちも心の中のどこかにあったように思います。

放射線科へ入局された時、先輩の女医さんは
いらっしゃったんですか?

 ええ、入局時には女性の先輩は一人だけだったのが、その後は女医の数が少しずつ増えていき、女医がいるだけで女子学生はその科に親近感を覚え、かつ自分の将来像がつかみ易いので、「女医のいる科」というのが入局の選択肢の一つになっていたようです。放射線科では、女性だからといって優遇もされず、また差別もされず、当直、関連病院ローテーション、専門医取得、学位取得など、すべてが当然の義務であり責任でした。私は大学病院よりも関連病院で過した期間のほうが長く、埼玉がんセンター、群馬がんセンター、癌研究会付属病院などのがん専門病院の勤務医を経て、卒後8年目から桐生厚生総合病院に診療部長として勤務していました。そこでは、目の前の患者さん一人ひとりが私の大切な教科書であり先生でした。親切な優しいだけの医者ではなく学問的にもある水準に達していたいという思いで、年に1回は学会に参加して年に1篇は症例報告を書くというささやかな目標を自分に課し、日々の診療に明け暮れる忙しい毎日を送り、自分なりに充実した幸せな時代でした。

先生は、私立医科大学の講師もなさっていたと、
お聞きしたんですが?

 ええ、私がそんな自分の職場環境にすっかり満足しきっていた頃、突然!私立医科大学の講師への異動の話が持ちあがり、恩師を立腹させずにこの異動話を断るにはどうしたらよいか、そればかりを考えて数週間を過したあと、「お断りしたいのです。」と思い切って切り出すと、恩師は「それでは、お前は一生、今のままだよ。」と即答されました。そのとき私は40歳でした。定年が65歳とすると、あと25年の歳月が残っていました。「このままでいたい。」という思いと「本当にずっと今のままでいいのか。」という思いが交錯して、結局、私は新しい職場である獨協医科大学を選択しました。
 しかし、診療に加えて研究・教育という仕事は自分にはかなり無理があると感じ、3年目を迎える頃には転職を考え始めていました。そこに前任教授岩崎尚彌先生のご退任時期が重なり、もう一度、人生の選択を迫られることになったのです。そこで、結果的に引く道よりも前に進む道を選んでしまい、偶然と幸運(あるいは不運)が重なって現在に至っているようなわけです。

 振り返ると、自分の医師としての分岐点は、最初に放射線科を選んだ時、次は生き方を変える決心をした40歳の時でした。放射線科を選んだことは、自分にとっては正解だったと思っていますが、あの40歳での2回目の選択が正しかったのかどうかは今もまだ判らないのですが、ただ、あの時の選択がなければ、私は今ここにはいないということだけは確かです。日本の社会では、女性は男性ほどには画一的な生き方を要求されていない。女性には女性の数だけ考え方や生き方があり、それぞれの人生のタイムテーブルは決して他人とは重ならない。他人と同じように生きる必要など全くありませんが、大切なことは自らが選択したことに自らが責任をもち、社会的な義務と責任を果たしていくことでしょうね。私の場合は40歳から別の価値観の人生が始まったのですが、「新しいことを始めるときに年齢はまったく関係なく、いつ始めても遅すぎるということはない。」と思っています。

 女の40歳は惑いどき。その後の自分の人生をいかに幸せに充実させて生きるかは、そこまでに蓄積された経験とその後を切り開く勇気にかかっている、と思っています。年齢や性別など、「そんなの関係ない!」と心から思い、実行する事が大切ではないかと考えます。

プロフィール(略)
群馬大学医学部医学科卒業後付属病院放射線科勤務。現在は獨協医科大学越谷病院放射線科。その間、埼玉県立がんセンター、群馬県立がんセンター、癌研究会付属病院放射線科、桐生厚生総合病院放射線科を勤務。

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