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若手の皆様へのアドバイス |
順天堂大学医学部放射線医学講座 唐澤久美子
先生のご家族は皆さん医師をなさっていると
お聞きしたんですが…?
私の母は小児科医で、父は医者ではありませんが、両親は私に医師の道を勧めました。娘が医学部の学生であるのも祖父母の勧めが効いているようです。私は他学部を中退後に医学部に入り、昭和61年に卒業しています。がんを克服するために働きたいと思い放射線腫瘍医になりました。JCRの理事も勤めさせていただいている駒込病院の唐澤克之と知り合ったのは医学部1年の時で、5年生で婚約し、6年生で結婚しています。
長女が生まれたのは研修医の時で、その直後、夫のスイス国立核物理研究所への留学に、見学生という立場で同行しました。私は幼い頃から母ではなくお手伝いさんに育てられていますので、自分の子供もそのようにしようと考えていました。そして、スイスに行くにあたり、家事手伝い兼育児係の方を募集し、保母の資格を持つ方に同行していただきました。その方には帰国後も12年間、彼女が45歳の若さで脳動脈瘤破裂で亡くなるまでお世話になりました。自分が大学からいただく給与以上のものを彼女に払っていましたが、きちんと仕事をして勉強をするためには当然と考えていました。現在も、週5日は家事手伝いの方に来ていただいて、家事一般をお願いしています。私の1日平均の仕事時間は診療、管理、教育、原稿書きまで入れると17時間くらいでしょうか、仕事は好きでとても楽しんでいます。
すごくパワフルですね。私にはとてもできませんが、
何か目的を決めていらっしゃるんですか?
2007年のJASTROで「女性放射線腫瘍医の活躍を求めて」というパネルがありました。ここでRitsuko Komaki先生が日本の女性放射線腫瘍医にあててお示し下さったアドバイスが素晴らしく、また先生の熱意に感動しました。それにヒントを得て、私など足下にも及びませんが、私も自分のモットーとしている事をご紹介し、若手の皆様へのアドバイスを考えてみました。
- 目標を定める
- つねになすべきことの優先順位を考える
- 良き師や助言者、心の支えになる人を見つける
- 研究をして学会発表をして論文を書く
- 不断前進、常に努力する
- 自分で道を切り開く
- リーダーを目指す
- 人の出来ないような仕事をするように心がける
- 常に平静心、怒らない、文句を言わない
- 何事も楽しむ
「あなたの目指すものは何でしょうか?」 私は、がんの医者になりたい、がん患者さんのために働きたいと思い放射線腫瘍医になりました。目標は、日本のがん患者さんすべてが適切な医療を受けることができる体制を作る事です。医者になった当初は目の前の患者さんの幸せを考えて一生懸命努力しました。今でもそれは変わりませんが、それだけでは多くの患者さんを助ける事はできないと考えています。放射線腫瘍医の育成、医学物理士養成制度の確立、教育ガイドライン、診療ガイドラインの確立、放射線腫瘍学の啓蒙活動などが必要な仕事だと認識しています。

順天堂大学医学物理セミナーの際客員教授のカーン先生を囲んで
先生はすごくはっきりとした信念で、
医学と
対峙なさってるんですね。
自分はどのような仕事がしたいのか、どんな医師になりたいのか、ゴールが決まっていないと、物事の優先順位が定まらないでしょう。1日は24時間ですし、1年は365日です。今、何が大切か、何に何分使うのか、家事は、家族との時間はどのくらい必要か、何時間寝るのか、目標のためには今どう時間配分すべきかを常に考えないといけないんです。それでも上手く行かず、子供の学校行事に行かれなかったり、原稿の締切を守れなかったりしています。なかなか思い通りに行かなくても頑張れるかは、目標をどれだけ大切だと思えるかにかかっていると思います。子供が小さい頃は早く帰宅しなければいけないというのが最大のストレスで、帰らなくても良くて好きなだけ仕事をしていられる当直は好きでした。仕事と家族の時間配分は年代によっても違うでしょう。子供が大学生と高校生になった今はかなり楽です。
皆さんも最終ゴールを設定なさったら、日々の行動が決まって来るのではないでしょうか。重要なのは能力ではなくやる気だと思います。やろう思えば何でも出来ると信じること、要は考え方です。出来ないと思ったら決して出来ないと思います。
プロフィール(略)
東京女子医科大学卒業後同放射線科に研修医として入局。助手、講師を経て現在は順天堂大学医学部放射線医学講座先任准教授、大学院医学研究科放射線医学先任准教授、先端放射線治療・医学物理学 先任准教授(講座責任者)。

