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女性放射線医師 大志を抱け |
ワシントン大学放射線科 神経放射線科部長 安西好美
千葉大の学生の頃は、何をしたいか自分でもよくわからなかった。軟式テニスの部長をしていて、あまり勉強もしなかった。それでも頭頸部の解剖に興味があって、遺体が余っていた学4の夏に、もう一度頸と顔の解剖を復習したのを覚えている。 形成外科になりたい、と思ったこともあり、東京大学の形成外科に、テニス部の同級生と見学にいったら、当直室が一つしかないから女医さんは困ると、断られてしまった。
それでは耳鼻科はどうか、と思って、新宿の医療センターの耳鼻科に見学にいったら、なぜか放射線治療の先生に「頭頸部に興味があるのなら、放射線科にならないか」と、勧誘された。その頃は、放射線科に女医さんはほとんどいなかった。昔から他人がしないことに興味があったので、”まあ、ためしてみるか”といった軽い気持ちで放射線科に入局した。私が女医一人だったので、とてもちやほやされた。”被曝はしたくない”と言ったら、教授が”安西先生は血管造影をしなくてもいいことになりました”と医局会で言ってくれた。後で聞いた話では、千葉大学教授の有水先生が、日本核医学会を主催することになっていて、受付代わりに女医さんが必要だったそうである。
千葉大学の放射線科研修医の頃は、現在新宿医療センターの部長をされている伊丹先生の指導のもとに、リンパ腫の化学療法やら耳鼻咽喉科の放射線治療の研修を受けた。非常に活気のある医局で、古い慣習にとらわれずに、新しい技術を開発するエネルギーに満ちていた。研修医の2年目に、頭頸部腫瘍の患者さんを対象にガドリニウムの治験を行ったりした。放射線の研修医を2年したあと、「耳鼻科で頭頸部の外科と臨床を学びたい」と有水教授に言ったら、「ああ、そうですか」という軽い感じのお返事で、早速耳鼻科の金子教授に電話をしてくれた。「何年ぐらい言ってきたらいいでしょう?」と伺ったら、「好きなだけいたらどうですか?」と言われてしまった。
耳鼻科では、手術室で外回りや、入院患者さんの包帯交換、外来の治療と、いろいろなことをさせてもらった。泣き叫ぶ子供に鼓膜切開等をしたこともある。簡単な顎下腺や甲状腺の手術までさせて頂いた。[手術が結構上手だ]、と煽てられたが、封建的な外科の師弟関係には自分は向いていないと思い、1年間で放射線科に戻る決意をした。
放射線科に戻ったら、いきなり助手にして頂いた。その頃、”CT and MR imaging of head and neck” という青い本をバイブルのように熟読していた。この作者(William Hanafee and Tony Mancuso) に会って 頭頸部を勉強したいと話したら、「それでは熊本大学の高橋先生にお話してみましょう」と有水教授が言ってくれた。そうこうするうちに、UCLAに1年間助手休学で留学することが決まった。1990年4月1日、一人でロスアンジェルスの空港にスーツケース一つで降り立って、とても心細かったのを今でも覚えている。 私がアメリカに渡ってから、もう21年にもなる。1年間、UCLAを見学して帰国するはずなのに、随分長居をすることになってしまった。
Hanafee 先生は、かなり高齢な先生で、 Robert Lufkin先生が私の直属のボスだった。最初の日に10秒ほど話をしたら、“英会話の教室に行ったらどうか?”と言われてしまった。当時のUCLAの放射線科には、私のような海外からの留学者が沢山いて、韓国のMoon Hee Han、台湾のHoward Chenと日本から来た私で、パンパシフィックのアクセントの強い英語で会話を楽しんだ。会話が通じなくなると3人で漢字を書いて、お互いの言っていることをわかり合った。 無給にも関わらず、毎日のように週末でも実験をして、結果を持っていくと“よく働くな”と感動された。1年たって、帰国すると言ったら、“給料を払うからもう暫く残れ”といわれた。そのうちに、 頭頸部のカンファレンスや、 耳鼻科や放射線治療などの頭頸部腫瘍のカンファレンスにも出るようになった。その頃は、GDCコイルを作ったイタリアの研究者もUCLAにいて、臨床研究が全盛の頃だった。今から思うと“古き良き時代”のアメリカといえる。もう少し残るのなら、アメリカで医者をやりたいと思い、医師免許を取る決意をした。医師免許を取ると、アメリカでの放射線科のボードが欲しくなり、研修医をすることを決意した。
ちなみに、私の主人(蓑島聡)は千葉大学医学部の50年の歴史に残る天才といわれたほど優秀だったそうで、私とは正反対である。 主人はミシガン大学の核医学科で、SPECTの機械を発明してJapan Prizeを受賞されたDr. David Kuhlの元で働いており、フェローシップを終えてJunior Faculty になった頃である。Kuhl 先生から放射線科の Dunnick教授にお声をかけて頂き、私はミシガン大学で放射線科のレジデントを4年間やることになった。その後 脳神経診断のフェローシップを終えた後、ミシガン大学のAssistant Professor になった。Faculty になった最初の年に子供が生まれた。ミシガン大学では、いろいろな先生に指導して頂き、耳鼻科や放射線治療の医師とも仲良くなり、楽しい6年間であった。
2000年の秋から、ワシントン大学の放射線科へ移った。2002年にAssociate Professor、2006年にProfessorなり、2008年以来神経放射線の部長 (Director of neuroradiology)をしている。 ワシントン大学の放射線科はレジデントが49人、faculty が120人もいる、大きな医局である。その中で、 神経放射線科は常勤の faculty が14人, ACGME のフェローが8人、非常勤が2人の、大きな部である。日本の放射線かに比較すると、ものすごいmanpower がある。それでも、女性の占める率は遥かに少ないことが指摘されている。なぜ、放射線科に女性が少ないのか?
現在、アメリカでは医学部の学生の半分、もしくは半分以上は女性である。(ちなみに 私が千葉大学の医学部に入学した1982年は、120人の医学部の学生中の16人が女性だった。) これは、医師を志す女性が増えてきたことを反映していると思われる。最近だされた、AAMC (Association of American Medical Colleges)の報告によると、放射線科のレジデントの女性の率は2008年に27.2%、1998年に25.2%、 10年前に比べて2%しか増えていない。ちなみに女性のレジデントの占める率は、内科で44.5%,産婦人科で78.1%,小児科で69.2%である。女性の少ない科は、脳神経外科(12.2%)、整形外科(12.9%)、胸部外科(22.3%), 形成外科(23.5%)で、放射線科は少ない方から数えて5位である。また放射線診断の方が、放射線治療(32.9%)より女性の率が少ない。なぜ、女性は放射線科を目指さないのか?
一つの理由として、放射線被曝を懸念すること、物理やコンピューターサイエンスに重点が置かれていること等が挙げられている。また、女性は患者さんとの接触を好む傾向があるといわれており、女性は患者さんとの直接な接触の少ない放射線科より、内科・小児科に進むことも指摘されている。American College of Radiology (ACR)等は、女性放射線科医の不足が深刻な問題であることを指摘している。女性の率は、大学のfaculty の中の割合をみると、さらに深刻である(Assistant Professor (18%), Associate Professor(15%), Professor (9%))。ちなみに、全科のなかでの女性の割合は、45%, 34%, 24% である。これは、レジデントを終了した後にも、女性はPrivate Practiceに進む傾向が強く, Academic careerを目指す女性が少ないか、機会が限られていることが挙げられる。放射線診断医の仕事は、画像を見て診断をつけレポートを作成することである。外科に比べて身体的なハンデキャップはなく、女性でも男性と同等に仕事ができる分野である。また、研究や教育に関しても、女性が十分能力を発揮できる分野だと思う。画像診断が、医療の中心になりつつある現在、もっと女性が放射線科を志してくれることが期待される。
2006年以来、ワシントン大学で Women in Radiology の集いを開催している。最初は仕事が終わった後に軽くワインや軽食をと、いった感じで、少人数で集まっていたものが、Dr. Beauchampのサポートもいただいて、外の大学から貢献の大きな女性の放射線科医を招待して、インフォ—マルな講義をしていただいている。討論の焦点としては、Mentorship, balancing personal and professional life, private practice versus academia- career choice, などがある。男性と女性が同じように職場で働いていても、家に戻ると子供の世話や家事を担うのは、やはり女性である。どうやって、仕事と家庭を両立させたらいいのかは、簡単ではない。アメリカでは、男性も子供の面倒をみる方も少なくないが、お手伝いさんを雇ったり、両親や家族に依頼する人もいるし、いろいろである。買い物から食事の世話、洗濯、掃除、子供の勉強や宿題、家に帰ると、もう一つの仕事が待っている。それでも、 家族の顔を見ると仕事場のストレスは低くなるし、家族が支えてくれるから仕事を続けられるのだと思う。子供の学校に顔を出す機会が少なく、申し訳なく思っているが、娘に言わせると“Don’t worry”だそうである。数年前から、主人も夕食を作るようになり、結構凝り性な性格で、今ではグルメな奇麗に盛りつけられた食事を作ってくれることがあり、大変助かっている。理解のある主人を持つことが働く女性には重要である。仕事と家庭の両立は流動的なもので、ある時は仕事の方に重点がおかれたり、家庭の方に重点が移ったり、自分のpriorityにあわせて、設定していくことが、重要であると思われる。
現在、AAWR (American Association for Women Radiologists) のexecutive member (secretary) になっており、日本の放射線科の女医さんにも 是非参加して頂きたいと思っています。International member は一年間の会費が$15で、RSNA, ARRS, ASTRO, SPR等で、セミナーやランチを開催しています。ネットワーキングの良い機会にもなりますので、是非参加してください。ネットアドレスは、www.aawr.orgです。
References:
Women in US Academic Medicine: Statistics and Benchmarking report 2008-2009. AAMC (Association of American Medical Colleges)
掲載日:2011.06.03

