JCR:日本放射線科専門医会・医会

Q  

出産後も仕事を続けられるのでしょうか?
産前産後休暇や育児休暇をとることはできるのでしょうか?

日本医科大学武蔵小杉病院放射線科 鶴田 晴子

 私は平成7年に日本医科大学武蔵小杉病院放射線科に入局し、早13年になります。その間、一男一女を儲け、各々育児休暇をしっかりと頂きました。こんなに恵まれた職場環境はめったにないと思いますので、私の経験が皆さんにもあてはまるかどうかは甚だ疑問ですが、一経験談として参考にして頂ければ幸いです。

 まず、最初の質問「出産後も仕事を続けられるのでしょうか?」に対する答えですが、精神論からいえば「それはまったくもって本人次第です。」ということになります。これでは極論になってしまいますが、本人に続けるという強い意志があれば、どんな仕事でも続けることは可能なんだと思います。と、このように思い至ったのはごく最近で、やはり子供二人の出産がなければこの境地にはとても至りませんでした。

 私の第一子(長女)は生下時、動脈管開存と診断されて激しく動揺し、落ち込みました。初めての出産だったこともあり、私のように頭でっかちに育ってきた人にとっては、赤ん坊の一挙手一投足がとてもはかなげで、いつもハラハラオロオロと心配ばかりしていました。こんな状態でとても仕事は出来まいと思い、ひとまず育児休暇を頂くべく医局長に相談しました。当時、子育て中の先輩女医さんは退職されていたので、非常に言い出しづらいものがありましたが、人格者の医局長は耳を傾けて下さり、許可を頂くことができました。医局は人数も少なくて専門医の私が抜けるのは本当に忍びなかったですが、休暇を頂けたことに感謝してひたすら育児にいそしみました。そして、生後3か月で動脈管は自然閉鎖してくれ、やっと健全な気持ちで子供に接することが出来始めました。そろそろ仕事のことも考えないといけなくなり、先輩女医さんの出産後の様子を思い起こしました。お二人いらっしゃいましたが、共に保育園に預けられていたと思います。印象に残っていることは、お子さんが熱を出して早退したり仕事を休まなければいけなくなった時、とにかく「すみませんっ!!」を連発されていたことです。子育てをしているだけでも大変な中、風邪という不可抗力の状況で仕事を抜けざるを得ないだけなのに、どうしてこんなに謝らなければならないのか、確かに独身の自分はその後の仕事を引き受けるわけですが、先輩方なくしては今の自分はなかったという思いが強く、負担に思うことは全くありませんでした。その後、お一人はご主人の転勤で渡米され、もうお一人はお子さんがあまりに発熱などを繰り返したため退職されてしまいました。

 そんなことを思い出しながら、自分が出産して同じ立場になった今、もし子供のために仕事に穴をあけてしまう状況になってしまったならばやはり先輩方と同じような心持になるだろうと思い、中途半端に仕事を続けるのが一番良くないのではないか、という思いが強くなりました。一時は退職しようと決断しましたが、当時の部長佐藤雅史先生が週に3回でもいいから仕事を手伝ってはくれないか、と言って下さいました。確かに医局の人数は少なく、今の自分を育ててくれた医局の助けに少しでもなれるのならと思い、その有り難すぎるお話に乗っかることにしました。そこで、子供の預け先をどうするか猛烈に考えましたが、結局保育園ということになりました。保育園に預けてからというもの、それはそれは笑いが出るくらいよく熱を出し、風邪をひきました。3〜4日行っては風邪をひいて1週間休み、毎週末は小児科へという生活の繰り返しでした。幸い私の母が健在でしたので、仕事中の一切は母に任せていましたが、それでも高熱の時はやはり私も仕事を休みました。ここで何より有り難かったことは、医局でのdutyを任されなかったことです。やはり自分が休むことによって検査が進まないということになれば、相当な自己嫌悪に陥っていたと思います。とにかくたまった画像の所見をつけていくということを申し渡されていたので、私にも務まったんだと思っています。

 放射線科医として、育児休暇によるブランクはやはり大きいと思いました。復帰した当時は、なんだかどの症例も異常があるような気がして冷や冷やしていましたが、とにかくたくさん画像を見ているうちにやっと感覚が戻ってきたという感じでした。そうして母に多大な負担をかけ、医局の厚意に甘えながら過ごすうち、第二子出産(2年半後)ということになりました。上の子の精神的ケアと、下の子(長男)の食と下の世話で毎日があっという間に過ぎて行きました。またしてもそんな状況を医局長(二代目)は理解して下さり、育児休暇を頂くことになりました。二人の子供の子育ては、本当に体力がいります。たくさんの元気をもらえることも事実ですが、それと同じ分だけの体力消耗もあり、結局プラスマイナスゼロなのでは、というのが正直なところです。今日は風邪気味だから早く寝ようとか、家の片づけをしたいから夕食は遅くてもいいかなとか、そういうことが全く通用しないので、それはそれはストレスがたまります。そして今度こそ、退職するしかない!と思っていた矢先に、またまた一艘の助け船が出されることとなりました。佐藤部長から、以前渡米されていた先輩女医さんが帰国されるので、その先生と私とで給与と仕事を分け合うのはどうか、という提案がなされました。これまた願ってもないお話でしたが、散々医局の厚意に甘え、迷惑をかけてきた自分でしたので熟考が必要でした。猛烈に考えた末、提示されたぜいたくすぎる条件で仕事を続けることに決めました。週に2日の勤務でしたが、やはり病院勤務で得られるものは大きく、なるべく多くの症例に目を通そうと努力しました。下の子も保育園に預けましたが、熱・風邪・下痢のオンパレードで、長女の時と同じことの繰り返しでした。こうして、細々とですが何が何でも仕事を続けてきて良かったと今では思っています。その後、市川太郎先生が部長になられましたが、引き続き同じ勤務状態を許可して下さり、本当に感謝しております。

 仕事を続けていくには、子供の要素、周囲(バックアップしてくれる)の要素、仕事場(医局)の要素、そして自分の要素があると思います。私は、本当に微妙ですが絶妙なバランスで仕事を続けてくることができたと思っています。まず子供の要素としては、大きな病気持ちではなく、保育園に喜んで通ってくれ、よく食べてよく寝てくれたことが大きかったです。そして周囲の要素としては、何より母がよく手伝ってくれ、必要とあれば姑も協力してくれましたので、これまた不可欠な要素でした。仕事場の要素としては、散々書いてきましたように、医局の先生方の多大なるご理解・ご協力を頂きました。部長・医局長ともに世代交代がありましたが、その都度理解を示して下さってこの職場でなかったら弱気な自分は仕事を続けてこれなかったと、つくづく感謝の念に堪えません。そして自分の要素ですが、やはり心の奥底では辞めたくない気持ちが強かったことと、夫をはじめ家族の理解があり、周囲の誰からも「辞めた方がいい」と言われなかったことが自分の意志の後押しをしてくれたと思っています。

 最後になりましたが、二番目の質問「産前産後休暇や育児休暇をとることはできるのでしょうか?」の答えですが、私の場合はできました、ということになります。医局の事情は病院によって様々だと思いますので、上司に相談して話し合うのが肝要と思いました。

 現在の私はといいますと、頼りにしていた母の入院や家族の病気、主人の転勤などが重なり、結局大学の方は研究生ということになりました。大学にも少しだけ顔を出しつつ、放射線科医ならではの自宅読影をしながら、今後も細々と仕事を続けていこうと思っています。子供は六歳と三歳になりました。親は歳をとり、思わぬ病気に見舞われたりしてだんだんと手助けを頼めない状況になってきてましたが、それと引き換えに子供の方は確実に成長しているので、今は自分と夫で何とか毎日を送っています。

 保育園で一緒の保護者の方、そして他の子持ちの先生方にはもっと過酷な労働条件で頑張っている方がたくさんいらっしゃると思います。そんな方を目にするたび、いろいろと厳しいでしょうが、結局は自分の意志が大事なんだな、と思います。窮極的には、自分の代わりは誰かしらが務めてくれるものなのかもしれません。親として、そして医師として、どこまで自分が務められるのか、そしてどこまで務めたいのか、そこを突きつめて考えることが次の一歩につながるのではないかと思います。

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